2014年3月28日金曜日

【ヤナセコラム】他人のゲームをどこまでプレイするか?

ゲーム開発者は他人のゲームをどの程度プレイしているでしょう?
正直、これは千差万別で、様々なゲームをやりこんだ末に自分ではまったく別種のゲームを作る方もいれば、自身ではほとんどゲームを遊ばず、自分の理論を積み重ねて素晴らしいゲームを作る方もいます。

私自身は、少なくとも私が作りたいと思っているジャンルに近いものはある程度プレイする派です。標準的には月に40時間程度はゲームプレイに費やしています。これは単純にゲームで遊びたいのが半分、最新テクノロジーによって作られたゲームを勉強しておきたいと考えているのが半分というところです。

中には、体験版やチュートリアルなどをプレイすれば十分に理解できるというベテランの方もいらっしゃいますが、私はあまりそうは思っていません。何故なら体験版などでわかるのは短い時間で買いたいと思わせるための構成であって、長い時間遊んでもらうためのものではないからですね。
単純にインタラクション的なものやグラフィック、その他様々な表現のレベルを把握しておきたいというなら冒頭だけ遊んでも済むかも知れませんが、トータルのゲームデザインを学びたいならそれだけでは不足しています。
ゲームデザインは与えたい体験があり、そのためのゴールと道筋を設定して行われます。途中の過程でどのような道筋でどのようなゴールにたどり着くかを想像する事は出来ますが、実際にどうだったのか、どの程度有用だったのかという検証をするにはやはり最後までプレイするのがいちばんです。

また、シリーズものをプレイする際にも、一本だけプレイするのと何本かプレイするのとでは得られる知見がかなり違ってきます。一つのシリーズの変遷には世の中に求められているものやバックグラウンドの技術など多くの要素が絡んできます。例えばあるゲームの3つ目のシリーズをプレイした時に、要素が少ないのではないかと思ったとして、それが減った結果そうなったのか、それとも前のシリーズから増えていないのかで「何故そうなったのか?」という考察は大きく違ってくるわけです。自分の感覚と世間の評判を比べた時にどの程度違ったか、同じかという事を見極める意味でも有用です。

以上の話は、ゲームを長時間プレイしよう、たくさんやろうという事ではありません。やるからには多くのものを得ないと時間の無駄になってしまうし、やらないならそこで得られたであろう知見よりも多くのものをプレイしない時間で得ないといけない、という話です。

これまで遊んできたゲームから自分が何を得られたのか、もしくはもっとやるべきなのか減らすべきなのか、考えてみるのも良いでしょう!